真面目に頑張る先生にこそオススメしたい、個人教室の売り出し方
個人教室は、地域のニーズを満たすもの。いろいろな人を受け入れる器があって良いと思います。けれど、「教えることが好きな人」が教室を開くのであれば、万人受けする教室を目指すのではなく、「学ぶことが好きな人」を対象とすることが最も理に適っていると感じています。理に適っているどころか、むしろ、それによって、個人教室が抱える問題を全て解決してしまう!?それくらいのインパクトがあります。
・「戦ってはいけない相手」と競合しづらい
個人教室が、スケールメリットを出している大手企業と競合しては、当然ながら、勝ち目はありません。また、公共の施設で開催されるような安価な講座と競っても勝てません。気軽にちょっと触れてみようという人、安価に試せるところを探している人はそれらの講座にお任せし、個人教室としては、「個人教室ならでは」のレッスンを提供する。対象は、学ぶには、お金、時間、労力がかかることを理解している人です。となると提供するのは、自ずと、「興味のあることをトコトン学べる」というような領域になってくるのではないでしょうか。
・「学ぶ意欲」は既に持っているという前提で始められる
課題を出したときに、生徒が「やってやるぜ!」と受け取るか、「面倒くさい」と受け止めるか。義務教育ではありませんので、やりたくないなら通わなければ良いのですが、実際には、後者のケースも一定数あると思います。「労せずにうまくなりたい」という人が求めているのは、いわば「コツ」であって、仕組みや成り立ちを学ぼうとしているわけではありません。そのため、教えることにこだわりがある講師にとっては、価値観が合わず、ストレスが増したり、無力感を感じたり。その隔たりは思った以上に大きく、並大抵の努力では取り除くことはできません。だったら最初から割り切って、学ぶ意欲の強い人を対象にしてはどうかというわけです。
そもそも、レッスンの意欲が高ければ、宿題をやってこないとか、忘れ物をするとか、月謝の支払いが滞るとか、連絡が途絶えるとか、そういった付随する問題も起こりづらくなります。
・「やりがい」がアップデートできる
個人教室の一番の問題は、上司などがおらず、他人から評価されないという点です。結果、仕事に対する強制力が働かず、改善・改良のスピードが遅くなってしまいます。さらに、昇給や昇格という目に見える成果も無いため、同じようなレッスンを繰り返していると、モチベーションは落ちていく一方です。そのため、定期的に目標を新たにし、やりがいをアップデートしていかなくてはいけません。個人教室という小さなコミュニティの中で、「高いモチベーションを保ち続ける」って、思った以上に大変です。
そこで貴重になるのが、意欲的な生徒の存在です。常に生徒が求めている、そして、どんどんと成長を遂げていく。講師は、それに応えようと必死になる。そのような状態が継続することによって、講師自身の能力やレッスン精度は、半強制的に磨かれていきます。自分のできることが増えていくと、新たな目標も立てやすくなります。
・中長期の継続が前提となる
レッスンを継続する理由として最も健全なのは、「やりたいから続ける」というシンプルなものです。学んだ成果も大切ですが、そもそも、知的好奇心が旺盛で、学ぶ時間そのものを楽しめる人が、レッスンを長く継続できるように思います。深堀していくと、どこまででも行ける。趣味を超えて、ライフワークのような状態ですね。
個人教室は、資金や人手が限られているのですから、生徒の入退会が多いというのは、決して望ましいことではありません。中長期を展望に入れている生徒が大きな割合を占めることで、生徒数を気にせず、本業に集中することができ、それが、更なる講師自身の成長、教室の発展へと繋がります。
・そもそも、学ぶことが好きな人はどこにいるの?
教えることが好きな人は、なぜ教えることが好きになったでしょうか。おそらく、良い先生に恵まれたからですよね。では、学ぶことが好きな人は、なぜ、好きになったでしょうか。そして、そのような人たちが求めているものとは?
長期間継続して通う人の傾向を見ると、衝動的に通い始めるというよりは、時間をかけてじっくりと検討し、自分の嗜好に合った教室、先生を探しているようです。
教室として、「教えること」、「学ぶこと」をどのように捉えているか。どんな方針でレッスンを行なっているか。生徒からのリクエストは聞いてもらえるのか。それらを見極めるための十分な材料を提供すれば、情報過多の時代においても、生徒自ら、教室を探し出してくれると思います。情報を集めて、まな板の上に載せて吟味するのですから、無理して検索順位を上げたり、目立たせたりする必要はありません。地域の中にいくつか同種の教室があった場合でも、「比べたら、一目瞭然、確実にこの教室を選ぶよね」という状態を作る。それが身近な目標です。
以上、「学ぶことが好きな人」を対象とすることによって、得られるメリットを整理してきましたが、いかがでしたでしょうか。
熱心に教える先生が日の目を見る。そして、地域から頼りにされる個人教室が増えていく。そんな状況になっていったら良いなと思っています。
繋がること、仕事にすること
・見ず知らずの人に、納得して買ってもらう。
・それが本当の意味で、「売れた」ということ。
・それが継続的にできると、仕事になる。
上記のように「売れた」を定義すると、身の周りの金銭の授受が、「仕事か仕事でないか」、あるいは、それが将来的に「仕事になるか、ならないか」が、かなり見えやすくなるように思います。
商品も、サービスも、そして個人教室などでも同じ。見ず知らずの人にアプローチするって、大変なことです。
でも、それがわかると、努力の方向性が定まり、気持ちが楽になります。
少し大きくなってから始める「習い事」もいい!
習い事は、早く始めるに越したことはない。そんなイメージをお持ちの方も多いと思いますが、私としては、少し大きくなってから始める「習い事」に大きなポテンシャルを感じています。
「プロを目指す」とか、「幼い頃にしか身につかない感覚を身に着ける」とか、早期に習い事を始めるに足る理由を理解し、意図的に決断しているのであれば、それはそれで良いと思うのです。でも大部分の人は、専門家になるために習い事をするわけではないのに、合言葉のように流れている、「早くに始めた方が良い」という風潮(宣伝)に乗せられてしまっている。そんな風に感じます。
幼少期から習い事を始める場合、親の意向が大部分を占め、本人の適性や意向というものは、実質的には考慮されません(それらが出てくる前に始めることになる)。良い先生に出合い、たまたまうまく軌道に乗れば良いですが、興味が持てず、嫌々通うことになったり、他人と比較をされて、コンプレックスを抱くようになったりするケースも多くあります。それは、習い事が「スキル」と強く結びついているから起きる事態でもあります。スキル一辺倒ですと、他人よりもできるようにならないと通っている意味がなくなってしまう。それが親の期待であり、子供にかかるプレッシャー、ストレスでもあります。言われた通りにやっているのに、うまくいかない。練習が足りないから?怠けているから?誰が悪いの?でも、そこに答えはありません。
少し大きくなってから。もちろん、いろいろな習い事がありますので、一概には言えませんが、例えば、水泳を例に取ると、「そもそも、水をかくと、どうして前に進むのか」ということが、仕組みとして理解できるかどうか。小学校の中学年くらいになれば、原理などを知らなくても、推進力と抵抗の関係がイメージできるようになるわけです。そうすると、効率の良い水のかき方や、手足の角度など、習い始めた当初から、自分なりに考えて工夫ができます。この「自分なりに」という部分が含まれているかどうかが重要です。
また、ある程度、体が成長し、筋力や体力などもついてくる頃ですので、一定の反復練習にも耐えることができ、工夫によって、泳ぎが改善したのか、していないのか、判断ができます。練習に意図を込め、成果が実感できるから、苦になりづらい。そして、「次はこうしてみよう」という、その後の意欲へと繋がっていきます。他人との戦いではなく、自分の向上心を磨く作業です。
私は、子どものうちに、自分なりの「学び方を学ぶ」ことが望ましいと考えています。それは自分の半生を思い返したときの、自戒の念でもあります。「教わらないと学べない」から、「能動的に学ぶ」へと移行を図る。最終的には、何でも「やれば何とかなる」という自信を持ってもらいたい。それが、社会の中で生きていく力に他ならないからです。
ただ、学校における集団指導では、受動的な学びが大半を占めることもあり、能動的に学ぶ経験は不足しがちです。「習い事」という領域をうまく活用すれば、後者を補うことができるのではないか。自分なりの学びのスタイルを確立するための、試行錯誤の場。そこで身に着けたものは、トレンドに左右される具体的なスキルよりも、何倍も汎用性があります。これこそが、子どもの習い事の大義である「将来のため」になるのではないかと思っています。
少し大きくなってから始める「習い事」。
始めるのが遅くなっても、焦る必要はありません。
だって「今だからこそできる学び」に挑戦するのですから。
「大切にするもの」が同じ人と出会いたい
習い事をどうやって見つけるか。
これって、未解決の大きな課題だと思っています。
ポータルサイト、スキルシェアサイトなどもありますが、刺激的な文言が多く、私なんかは見ているうちに疲れて、探すのをやめてしまいます。見つけてもらわないことには始まらないので、派手な表現になるのは、やむを得ない面もありますが、「タイトルの競争」になっていて、「中身の競争」になっていないところが、何とも、もどかしく感じます。
また、集客に困っていない講師・教室ほど、ポータルサイトには頼らないので、ますます見つけにくいということになりがちで。結局、口コミなどを元に、地道に探すのが一番なのか・・・。
「習い事の比較」が、なぜ難しいのか、少しだけ挙げてみようと思います。
・同じ内容で、複数の講師には習わない
講師の本当の実力は、中長期に渡りレッスンした後の評価であるけれど、そこまで続ける人は、他の講師に習う機会が無く、相対的な評価ができない。
・相対商売である
自分のレベルや求めているものによって、評価が変わる。技術だけでなく、教え方や人柄、対応も絡んでくる。
・評価する人が誰か、講師からわかってしまう
具体的な評価をすればするほど、評価をする人が誰なのか、講師からわかってしまうため、その後のレッスンが互いにしづらくなってしまう。
・教える、教わるは双方向である
生徒側のやる気や努力、忙しさなど、個別の事情も絡んでくるため、純粋な「講師の評価」とはならない。
上記を、ひと言でまとめると、「基準が揃わない」ということになると思います。ですので、同じ基準で比較すること自体がナンセンス。たくさん星がついているからと言って、自分に合うとは限らない。また、誰にでも当てはまる平均的なレッスンと、ひとつだけ尖ったものがあるというレッスン、どちらを好むかというような観点もあります。相手が商品ではなく、人である。それに尽きるように思います。
だとすれば、例えば、項目を揃えて、自由に文章を書いてもらうというのは、一つの方法だと思います。その人の経験、生徒に対する姿勢、仕事への情熱。これらは文章に、にじみ出てきます。行間から伝わる人柄によって、その人が好きかどうか、自分と合うか合わないか。そんな選び方ができたら良いなぁと思います。
「教える・習う」って、やっぱり、単純なスキルの伝授ではなく、「大切にするものを育てるイメージ」だから。
「自分の本質」に触れる瞬間は、遅れてやってくる
会社員は、独立をすれば、「やりたいことができる」とか、「自由を手に入れられる」ということをイメージします。かつて私もその一人でした(笑)。でも実際は、やりたいことができるのも、多少の自由を感じるのも、独立後、だいぶ時間が経ってからです。
個人事業は、何から何まで全部自分でやらなければならないので、仕事量が増えてくると、「自分にしかできないこと」に集中し、他は、人に任せたいという気持ちが芽生えてきます。
一方で、自分が主体的に始めた仕事ですので、例えば、部分的に人に任せようと思ったら、その人の仕事内容や進捗、品質を管理する必要が出てきます。
「自分でコントロールできる範囲」を増やしていくことで、自由を獲得する。それが個人事業の本質であると、私は考えますが、人に任せるということは、それに逆行する流れになります。人に任せる範囲を大きくしていくほどに、その形態は、会社の働き方へと近づいていく(戻っていく)。
結局、何がやりたかったのか?
この段階へ来て、初めて、「自分の本質」に触れるような気がします。
・自分の手で、事業を大きくしたかったのか?
・自分が「意義がある」と感じる仕事をしたかったのか?
・自分のペースで、幸せな働き方、生き方をしたかったのか?
想像の域を出て、「実感を伴った感覚」を得たときに、どのような判断を下すのか。それが本当に、「自分がやりたかったこと」なのかもしれません。「濃度」を取るのか、あるいは、「大きさ」を取るのか。安定を放棄して独立したはずですが、失った以上のものを得るために、何を選択すれば、自分の心は満たされるのか・・・。
ただ、そんな葛藤ができるということ自体、既に、独立した甲斐があったと言えるのかもしれません。だって、それが「やりたいこと」を「自由に選ぶ」、そのものですから。
副業の延長線上に、本業は無い?!
音楽教室運営「未経験」で、でも、「それだけで食べていかなくては」という状況に身を置き、十数年が経ちました。実際にレッスンをするのは妻ということもあり、もちろん敬意を払いつつではありますが、遠慮なく、音楽教室特有の事情や慣例に切り込んできたという点が、他の教室との違いなのかなと思っています。
妻にとっては、音大や音楽教室、そして音楽講師の慣例が当たり前すぎて、疑問にも思わないことが多かったようで、「そんなの誰も教えてくれなかった~!」という発言が、いつぞや定番に。一方、私の方も、「そういう意図があったんだ!」と驚くことも度々。音楽を専門にしてきた人と、そうでない人との間には、深い溝があるということがあらためてわかると同時に、腹を割って話せば、その溝を埋めていくことができるというのが、大きな発見でした。
最初は互いに反発も大きかったのですが、徹底的に話し合い、そして、実際に教室内で試してみることで、着地点を探ってきたというのが、本当のところです。実際に効果が出れば、互いに納得しやすいという・・・。
夫婦で教室を開校する前は、妻は音楽講師として、いくつかの教室を掛け持ちして、教えていました。定義はさておき、「副業」としての働き方です。一方、夫婦で教室を開校した後は、週5日、1日8時間をその仕事に充てます。そして、その中で最大限のパフォーマンスを発揮できるように、試行錯誤を続けていきます。レッスンがあろうと無かろうと、先に「支払われる金額(稼ぐべき金額)」が決まっているという点が、最も大きな違い。その金額が払い続けられない、あるいは、払うに値しないとなれば、退場を宣告されます。
だから、最初のうちは、仕事を選んでいる余裕などありませんし、いつまでも生徒数が増えなかったら、「しょうがない」では済みません。常に、緊張感に満ちた生活が続き、胃がキリキリします。
でもこれは、半強制的に、「自分ができることを増やす」ということに繋がります。経験の無い年齢層のレッスン、専門の少しだけ外側のジャンル、あるいは、人に伝わるよう、自分の感覚を文章に起こしてみる、などなど。そうやっていわば「守備範囲」を広げていくことで、「仕事」に結びつく可能性を高めていくわけです。会社員では当たり前になされていることを、個人という単位でもやる。ただそれだけのことなのですが、嗜好性の高い「音楽」というジャンルにおいては、少し難しい面もあるのかなと思います。「やりたい」と「やりたくない」。本人のプライドにも関わってきます。だから、副業としてやる人は副業で良いと思うのです。ただ本業を目指すのであれば、やり方を根本から変える必要があるように思います。
生徒数が増えていけば、副業はやがて、本業になるとイメージしている人が多いようで・・・。
例えば、生徒数20人の教室が30人になるとはどういうことか。はたから見ると、少し頑張って10人増やせば良いと思いがちです。瞬間的にはその通りなのですが、定常的な生徒数は、「入会する数」と「退会する数」のバランスで決まります。生徒数が10人増えるということは、辞める人も加味すると、もっと多い人が入会しなくてはならない。また、生徒数を維持するためには、一定の割合で辞めていくことを想定するならば、それを上回る頻度で入会が無ければなりません。
生徒数が増えれば、必然的にレッスン数は増え、各生徒の状態を把握したり、スケジュールを管理する労力も増えていきます。一方で、自分で使える時間はどんどんと減っていきます。そんな具体的な想像ができているか。そして、入会希望者が定期的に訪れる状態というのは、先程述べた「守備範囲」が広い状態でなければ、起こりえません。だから、副業としてやっているうちは、副業を抜け出すことはできないのです。
例えとして適切であるかどうかわかりませんが、「生徒数を増やして維持する」ことは、「体重を減らして維持する」ことと似ているように思います。
例えば、55キロの人が、50キロになる。食事制限をすれば、一時的に体重が落ちるかもしれません。けれど、元の生活に戻せば、また元に戻ってしまう。だから、常時50キロになるためには、体質や生活習慣自体を変えないといけません。これって結構、大変ですよね?音楽教室の運営というと、とかく、集客に目が行きがちですが、集客のテクニックだけを学んでも、中長期的に見れば、何も変わらないということが、何となくイメージしていただけるのではないかと思います。
音楽教室を本業にするための条件。それは、多くの人が安心して来られる教室です。この「安心して」というのは、「実力アップ」はもちろんですが、お金に関してクリアだとか、対応が信頼できるとか、広告に偽りがないとか、話をしっかりと聞いてくれるとか、先生都合が優先されないとか、総合的なものです。大手のようなブランドが無い分、安心感・信頼は自分で作らないといけません。
名前だけで人を集められるような有名人は別として、もし、音楽講師を本業にしたい人がいれば、「本業として取り組む」ことがポイントだという、嘘のような本当の結論で締めさせていただきます。